記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
2人の高校生が織りなすコメディ
で、ド派手なアクションはなし。わくわくするアドベンチャーでも、キュンっとする恋愛モノなども断じてなし!
そのどのジャンルにも属さないいわゆる日常系。それは「となりの関くん」という漫画。
今回はこの異色のキャッチフレーズのついた漫画の生みの親、森繁拓真さんの漫画人生が非常に興味深かったので、「となりの関くん」の誕生秘話も併せて書いていきます。
目次
東村アキコの弟・森繁拓真は暇つぶしの達人!
突然ですが質問です。みなさんは小学校、中学校、高校の授業中に何か暇をつぶしたことはありますか?
私も好きでない授業中は結構退屈していたので、いろんな暇つぶしをしてみたりしましたね。練り消し作ったり、落書きしたりは基本でしょうか(笑)
さて、質問したこの”暇つぶし”が、実は「となりの関くん」のきっかけになっているわけです。
はい、実は森繁拓真先生は、小中高と授業中の退屈をいかにつぶすかということばかり考えていたそうなんです。
「となりの関くん」は退屈しのぎから生まれた!
漫画のネタを思いっきり振り絞って考えて考えて考え抜いた渾身の・・・!、といった肩ひじ張った感じではなく、結構リラックスした感じで描けていたそうですね。
「非常に苦しい状況で持ち込みを繰り返していたとき、編集さんから10ページほどの作品を求められました。そこで、アイデアが出しやすくて簡単に描けそうなものを探した結果が『となりの関くん』です。ストーリーマンガを描きながら片手間にコメディを描こうとしたので、肩の力が抜けていたのかも」
引用:ダ・ヴィンチニュース
と、ご自身がしていた経験をもとにしてできた作品が「となりの関くん」なんです。
「となりの関くん」までの苦難の道のり
森繁拓真先生が小中高時代にした経験が「となりの関くん」のネタにはなっていますが、それまでは本当に苦労をされていたそうです。
バイト生活をしながら描いたり、順位が下だったりなど、なかなかメンタルがやられてしまうような生活だったそうです。
森繁:「アイホシ」が終わってから、2年くらいまた無職で、バイト暮らしに戻ってしまい。読み切りはポツポツ載っていたんですけど、もの凄い苦労して増刊に載ったのに、人気投票が最悪だったり……40ページくらい描いたのに、10ページくらいのギャグ漫画よりも下だったこともあります。
「となりの関くん」の前に連載していた作品が「アイホシモドキ」という漫画。こちらは単行本4巻分の連載だったそうです。
漫画家さんは自分の漫画が連載されなければ基本的に収入はゼロ。当然そんなんじゃ生活はできないです。
森繁拓真先生はそんな厳しい期間を2~3年近く過ごし、その間連載がまったく載らなくなってしまいまったそうなんです。
この時の苦労を森繁先生は次のように語っています。
そういう「合う合わない」みたいな言い方をすると自惚れてるのかもしれないですけど。要は何を描いたら良いのかが分からなくなって……少年誌っぽいものを描こうとすると、自分に不向きなことを描き始めるので結局面白くないネームばっかり描いちゃってたんですよね。
そんな苦労のなか、当時のとても信頼出来る編集さんから「君はアイディアを考えるのが特技だから、短いのを描いたほうが良い」といったアドバイスを受けて描いた10ページものが「となりの関くん」だったわけです。
それで、初期は副業として「となりの関くん」を描きながら、3箇所くらいに持ち込みを続けていたそうですね。
ただ、なにかの傍らで描いたとはいえ「となりの関くん」が大ヒットしたわけですから、まあ結果論ですけど本当に辞めないでよかったと思います。
東村アキコの弟・森繁拓真は就活をする代わりにペンを持った
森繁拓真先生の漫画人生がずっと大変だったのか、というとそんなことはないそうです。
まず、しっかりペンを持って漫画を描いたのが大学時代。なんと就活をする代わりにペンを持ったそうな。
なんでも、大学の成績があまりよくなく希望する学科とは違う道に進んでしまったそうなんでです。
そのまま進むと希望の就職先に行けない可能性があるので「就職したくなくなった」という思いが原動力だったそうですね!
ちなみに、森重先生は学生時代、漫研には「入ったら負け」という考えから入っておりません。
漫研ってどうなんでしょうかね。やっぱ入っていると何かと便利でしょうけど、さすが森繁拓真先生!
大学4年時にちばてつや賞を受賞!
漫研に入らずして漫画を描き、大学4年生の時にヤングマガジンの月例賞の一番下のものと、もう1つ上の賞を受賞し、さらに2000年にちばてつや賞優秀新人賞を受賞されています。
ちばてつや賞とか、すごくないですか!?かなりすごい省だ、ってことは私でも知っています。ご自身で漫画を描いて、そういった賞を取っているのですから、やはりすごいですよね。
その時は描けば載る状態だったらしく、貯金も相当あったらしいです。
「となりの関くん」が出る前はバイトしてつないでいたとは思えない感じですよね!
とまあ、こんな感じで森繁拓真先生の漫画人生は、最初に大きな山がきて、その後谷に落ち、そしてさらに大きな山になって活躍されているのです。