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年齢を感じさせず、いくつになっても綺麗な内田有紀さん。
一度芸能活動を引退するものの、復帰し今もなお、華やかに活躍し続ける内田有紀さんですが、過去は壮絶だったようです。
今回は内田有紀さんの母親のこと、幼少期のことなど詳しく調査しました。
目次
内田有紀の母親は「ゆうこ」!?
母親のお名前は「ゆうこ」さんというようです。内田有紀さんの父親が幼い頃に経営していた会員制のクラブにいったことがあるという一般の方のブログに記載がありました。
そこのマスターが内田容三郎さん!
奥様が内田ゆうこサン とってもあこがれてたなぁ~。キレイな人でした。
その頃、東京ジャイアンツという草野球のチームの名セカンドが実は私でした。
神宮外苑のグランドで早朝野球の試合がよくありました。
そこへ内田容三郎さんがお嬢さんを連れてよく応援に来てくれました。
そのときのお嬢さんが、内田有紀ちゃんでした。
モデルもされていたことがあるようなので、お世辞ではなく、本当に綺麗だったのでしょうね。きっと内田有紀さんの綺麗なお顔は母親譲りだったのではないでしょうか?
また母親は20歳の時に内田有紀さんを出産しているようです。若くに出産されたんですね。
こちらは内田有紀さんが20歳X時のお写真です。母親のお写真は見つかりませんでしたが、きっとこんな綺麗な母親だったのではないでしょうか。
六本木の飲食店経営していた
内田有紀さんの父親は六本木で「水曜日の朝」というお店をされていたそうです
。これは結構有名な話なようで、その会員制のバーに通われていた方のブログ等にも記載されていました。
またモト冬樹さんの兄でミュージシャンのエド山口さんがYouTubeチャンネル内で話されていました。
経営者が内田容三郎さんっていって六本木族に対抗して原宿族のリーダー。半グレ集団とかじゃないですからね。ファッションとか歌い手とかが集まったりする。
父親は、1960年代前後に六本木に集まっていたタレントやデザイナー志望の若者などが集う「野獣会」のメンバーだったそうです。
野獣会とはすぎやまこういちさん、田辺靖雄さんを中心に構成されていたティーンエイジャーの遊び人グループです。
田辺さんの他に峰岸徹さん、中尾彬さん、大原麗子さん、小川知子さん、井上順さん、ムッシュかまやつさん、福澤幸雄さん、小山道広さんなどがいたと言われています。
またデザイナー志望の若者もおり、最大30人前後で構成されていました。富裕層の子女が多かったようです。
錚々たる顔ぶれが並んでいますよね。その中にいたなんてすごい人なのではないでしょうか?ちなみに父親のお写真はこちらです。
サウンドウェーブヒーラーパティオ イカウイィさんという歌手の方のブログに載っていました。
エド山口さんが「髭がすごい」とおっしゃっていましたが、本当に髭すごいですよね!!
著名人が集まるい飲食店を経営するなんて、それだけ人を惹きつける方だったんでしょうね。内田有紀さんにも遺伝していますよね。
母親は夜の仕事もしていた!?
父親の飲食店でも綺麗だったと有名な母親ですが、元々は夜のお店でお仕事されていたそうです。
内田有紀さんをみても綺麗な方であることは間違いなさそうですよね。
一般の方なので、どこのお店だったの情報やいつ頃辞められたなどの情報はありませんでした。
32歳でモデルにスカウトされる!
内田有紀さんのデビューのキッカケは、母親が32歳で内田有紀さんが小学校6年生のときです。なんと母親がスカウトされたことで一緒にスカウトされたのだとか!?
それからは一緒に撮影所に行ったことで、中2からモデルのお仕事をしてるんだそうですね。
撮影所という綺麗な方が多くいる中で声を掛けられるなんて小学生でも相当綺麗な子だったのではないでしょうか。
内田有紀さんが撮影所で声をかけられたこともビックリですが、母親が32歳で声を掛けられるなんてすごいですよね!やっぱ、スカウトマンが声をかけるのは、どうしても10代や20代が多いですからね!
しかし、30代でも読者モデルならあるようで、実際にモデルの滝沢眞規子さんは専業主婦であった31歳の頃、スーパーでお買い物中に声をかけられてモデルとなったようです。
内田有紀さんの母親もデビュー等はしていないとのことでしたので、そういうものだったのかもしれません。
もしくは相当若く見えたのかもしれませんね^^
実際に内田有紀さんは10歳下の年齢であってもとくに違和感がないくらい綺麗ですからね^^
母親がそうであってもおかしくなさそうですよね。母親もとても綺麗であるのは間違いなさそうです。
母親はおしゃれな人
母親は綺麗なだけでなく、お洒落でもあったようです。以前取材でこのように答えています。
引用元:毎日キレイ
子供の頃母親に憧れることはよくありますが、振り返ってもお洒落だったと思えるのは、きっと相当お洒落だったのでしょう。
またそんな母親の影響もあり、小さな鞄を集めているようで、「どこかに行くとすぐに買ってしまう。
駅ビルなどで数千円のものをよく買ったりします」とも語っていました。
内田有紀が小学2年生のときに両親が離婚
内田有紀さんは3歳から5歳まで日本舞踊を習ったり、3歳から10歳までクラッシックを習っていたそうです。
また内田有紀さんは、東京都中央区日本橋生まれですが、育った場所は東京都渋谷区広尾になります。広尾は女性に人気の高級住宅街です。父親のお店も順調で裕福な家庭で育ったようです。
しかし、その一方で夫婦仲は良くなかったようです。
内田有紀さんが幼い頃から喧嘩が絶えなかったそうで、内田有紀さんが八つ当たりされることもあったようです。裕福であってもそのような環境で生活するのは辛かったと思います。
内田有紀さんが小学校2年生の時に離婚します。しかしそこでも親権や財産分与でかなりもめたそうです。
最初は父親と生活していた!
最初は父親が親権をもち、父親と暮らしていたようです。
現在でも父親が親権を持つのは全体の約1割程だと言われています。内田有紀さんが小学校2年生の約40年ほど前だともっと少なかったのではないでしょうか。
父親は飲食店をされていて夜仕事にでることなどを考えるとさらに難しいように感じますが、やはり経済的理由が大きいのかもしれません。
もしかしたら引っ越しなど大幅に家庭環境が変わるのを避けたのかもしれません。
父親が再婚後は母親のもとへ!
最初は父親と暮らしてた内田有紀さんですが、父親が再婚したことで家に居づらくなり母親と暮らすようになります。
小学校2年生の時に離婚し、小学校6年生の時には母親と暮らしていたということだったので、父親と暮らしたのは僅かだったのかもしれませんね。
再婚だけでも戸惑いますが、短期間となるとさらに戸惑ったことでしょう。
幼いながらに複雑な心境を抱えていたのではないでしょうか。幼い時は孤独との闘いだったかもしれません。
母親も再婚し今度は祖母のもとへ
母親と暮らし始めた内田有紀さんですが、中学校2年生頃母親も再婚します。思春期でもあるので、母親との衝突が絶えず、祖母宅で暮らすようになったようです。
両方の親が別の家庭を築くのは、子供の時だと辛い経験だったと思います。
そんな中助けてくれたのはおばあさまだったのかもしれません。今でもインタビューなどで度々おばあさまの言葉が出てきます。
引用元:毎日キレイ
辛い経験をする内田有紀さんを近くで見てきたおばあさまだからこそ、かけてあげられた言葉だったのでしょう。
笑顔が素敵で華やかなイメージの内田有紀さんが壮絶な家庭環境で育ったのは意外でしたね。
いくつになっても変わらない美しさで男女問わず人気がある内田有紀さんの今後の活躍にも注目したいですね。