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ドラマ「半沢直樹」で「鉄の女」を演じ、世間に「かっこいい!!」と言わせた西田尚美さん。
ドラマ以外にもバラエティーやCMではコミカルな一面も見せてくれるその演技力の高さはまさに本物ですね。
そんな西田尚美さんですが、今はドラマなど女優業として活躍していますが、若い頃のデビュー前はデビュー仕立てのころはモデルとしても活躍していました。
ということで、西田尚美さんの若い頃についてみていきます。
目次
西田尚美のモデル時代が超かわいい!
西田尚美さんは女優として活躍する前は、モデルとして「an・an」「non-no」などの有名ファッション雑誌で表紙を飾るほどの方でした。
しかも!ただ表示を飾るだけでなく、「non-no」では好感度1位に選ばれたこともあるなど、モデルとしてかなりの人気を誇っていたのです!
ただ、ここだけ聞くと「モデルで好感度1位⇒女優業として活躍」と順風満帆に見えますが、最初からモデルで活躍できたわけではありません。
何事も最初からうまくはいかない。そんな世の常を西田尚美さんも体験するのです。
西田尚美の若い頃の軌跡
ということで、西田尚美さんが、どのように今に至ったのかを見ていきます。
モデル時代⇒女優時代⇒現在と順風満帆だったのか!?
いいえ、そんなことはありません!とても波乱万丈な内容です!
上京までの道のり(実家で格闘編)
西田尚美さんがモデルになるまでの道のりがどんな感じなのかを調べたのですが、上京するまでは相当大変だったようですね^^;
西田尚美さんは、広島県福山市の出身で「福山市立福山高等学校」を卒業後、上京して東京の服飾関係の専門学校「文化服装学院」に通います。
この服飾系に進学したことが、西田尚美さんのご家庭だと珍しいそうですね・・・。
というのも、西田尚美さんのお父さんや親戚の方々のほとんどが、なんと公務員の方が多いそうですね。
高校1年生の進路を決めるとき、大学に進学するなら理系か文系を選ばないといけないため、親に相談すると「公務員になるんだから進学しなくてもいいんだよ」と言われていたらしいですね。
西田尚美さんもそれを聞いて「そうか、なら就職コースか」と、そのときは就職の方向で進路を決めていたそうです。
ですが、1年の後半で急に危機感を覚え、進路について考えるようになり自分の家から出たい!という思いが強くなったとのこと!
そして、案の定というか、やっぱりめちゃくちゃ反対されたそうですね・・・。
そのため、まずは家を出ることを目標にします。
近場の大学進学を提案するも「ダメ」と一蹴される・・・。短大とかいろんな資料をかき集めるも、ことごとく反対される・・・。
そんな日々が続き、次第に勉強もついていけなくなってきたため、試験がラクなところがいいのでは?
といった感じで選んでいき、『じゃあ、この際東京に行ったほうがいいのでは!?』と考え、東京の資料を集め「文化服装学院」に行く意思を伝えるのです。
まぁ、それでも猛反対されたのですが、西田尚美さんは本当に懇願し、それを見かねた祖母の助けもありなんとか父親を説得。
ようやく上京を果たすのです。
ただ、父親が反対する理由もわかりますよね・・・。
「愛娘に大変な思いをさせたくない!」という想いがあったのでしょう・・・。
実は、西田尚美さんのお母さんは、西田尚美さんが中学1年生の時に他界されているため、それもあって猛反対したのかもしれませんね。
上京から好感度1位まで
ようやく上京して、服飾学校で精を出す西田尚美さん。
宿題もたくさん出るなか、勉強とアルバイトを多くこなしていきます。
バイトは「駅ビルの靴屋」「青山のイタリアン」「下北沢の雑貨屋」など数多くを経験。
そんな多忙でも充実した2年生の最初のとき、学校の友達からモデルの仕事を勧められて、事務所に所属するのです。
・・・とはならないんですね。やはり最初からそんなうまく事が運ぶはずがありません^^;
西田尚美さんが在学中は、モデルの仕事はほとんど来なかったそうですね。
仕事がもらえたのが2年の2学期くらいだったそうです。
でもまぁ、モデル1本で食べているわけでもないので、モデルの仕事がないならバイトをすればいい、とあまり重く考えていなかったようですね。
就職も「プランタン銀座(現在はマロニエゲート銀座)」というデパートに決まっていたらしいですし。
しかし、一方でこのころにはモデルの仕事で雑誌にも出るようになっていた西田尚美さん。モデルの仕事は増えてきたのですが、野心とか執着心は無かったようで、やはりあくまでアルバイトの一環としてモデルの仕事をしていたのだとか・・・。
周りには自分よりすごく売れている人ばかりだったらしく、呼ばれて行って「いいページができたら楽しいな♪」といった気分だったそうですね。
こういった野心とか執着心が無い純粋な感じで臨むからこそ、それが読者の眼を惹いたのでしょう。
ついに「non-no」で好感度1位に選ばれるまでのスーパーモデルになるのです!
ちなみに、就職は決まってはいたのいたのですが、父親に「どちらかを選ばなければならない」と言われ、後悔しない方を選び、モデルの道を進むのです!
スーパーモデルからスーパー女優へ
モデルとして人気者になり、本格的にモデルの仕事が軌道に乗ってきたので、アルバイトをしなくてもよくなったころ、事務所からドラマのオーディションに行くように言われます。
ちなみに西田尚美さんはこのとき、ドラマとかまったく興味がなかったそうですね^^;
ただ、マネージャーから強く言われたので、オーディションを受けることに。
そのオーディションこそが「オレたちのオーレ!」。初めて受けたオーディションで見事ヒロインに抜擢!
いや~~~、すごい!すごすぎる!マネージャーが強く勧めたのもわかりますね!
初めて受けたオーディションでヒロインに抜擢!
・・・・・と、ここだけを聞くと順風満帆な感じですが、やっぱりモデルと女優では仕事内容が全然違います。
台本の読み方とかもわからなくて『なんであのときオーディション受けちゃったんだろう・・・』と不安な気持ちでいっぱいだったそうですね。
演技をするのは怖い、とまで思っていたそうです。
でも、そこはさすが西田尚美!
撮影が終わったときに、別の仕事が舞い込んできて「どうする?」と聞かれると、『このまま消化不良じゃ、もどかしいし悔しいし、これもチャレンジか!』という負けず嫌いの性分を発揮し女優の仕事を続けるのです。
各賞を総嘗めする西田尚美
そして1995年に、映画「ゲレンデがとけるほど恋したい」に出演。
1996年には「学校の怪談2」に出演。
1997年には西田尚美の出世作ともいえる、映画「ひみつの花園」の主演をすることになります。
これらの作品で、日本アカデミー賞新人俳優賞、ハワイ国際映画祭主演女優賞、日本映画プロフェッショナル大賞主演女優賞を受賞するという快挙を成し遂げます。
さらに1999年、映画「ナビィの恋」ではヨコハマ映画祭助演女優賞、報知映画賞助演女優賞を受賞するのです!!
まさにスーパー女優!!こうやって西田尚美はスーパーモデルからスーパー女優へと転身したのです。
西田尚美は若い頃から頭もよかった!?
こうやって見ていくと、西田尚美さんがただただスーパーマンなのでは!?と思うのですが、それで終わらせるとちょっとつまらないじゃないですか!?
なので、少しだけ考察を入れます^^
器量がいいのは知っています(←めちゃくちゃ無礼な言い方をお許しください)。ですが、器量がいいのはモデルや女優業の世界では当たり前です。それだけでは生きていけるほど、甘い世界ではありません。
西田尚美さんが頭が良いと思った点をまとめると次になります
- 家を出るのが難しいならどうする?
- モデル1本では危険では?
- どうせやるなら後悔しない!
- 負けず嫌い
これらを見ると、よくある一覧です。しかし、このよくあることがなかなかできないじゃないですか!そのなかなかできないことを西田尚美さんはやるのです。
思考①:家を出るのが難しいならどうする?
例えばコレ。西田家は高校卒業後に家を出るのが難しい。だったら、進学を理由にすれば出られるのでは!?
ここまでは誰でも思いつきます。ただ西田尚美さんが賢いのは、近場から攻めたこと、そして数を打ったことです。
上でも書きましたが、進学するために父親を相当説得したそうです。
もし最初から東京の学校を言ってた場合、上京する理由が無くなってしまいます。あと、1回や2回程度で説得をやめたら、女優にはなってないと思うのです。
目的が達成できない。なら次は〇〇だ!それがダメなら▽▽だ!これもダメなら、今度は反省を生かして◇◇をしてみて・・・・・と試行錯誤を繰り返す力を持っているから賢いと思ったのです。
思考②:モデル1本は危険では?
ときどき見かける、なかなか芽が出ない芸人さんのドキュメンタリー。お笑い1本で食べることが厳しい、という現実を見せつけられます。
何が危険か?というと「〇〇1本で食べていく」というのがキケンなのです。その〇〇がダメだったらどうするの?と。
普通に考えると、簡単にわかるのですが、その道に入ると結構盲目になる方が多いのです。でも、西田尚美さんはそうはなってません。
ちゃんとアルバイトを複数こなし、就職まで決めていたのです。モデルがダメでも就職すればいいか。と選択できるのです。
頭で考えていたのか、無意識にそうしていたのかは知りませんが、選択肢を多く持つことで余計な心配が無くなり、余裕が生まれたから読者が釘付けになったのかもしれませんね。
思考③:どうせやるなら後悔しない選択を!
これは、ちゃんと結果を出すために行動できるからこそ響く言葉ですね。
複数の選択肢を持つ西田尚美さんだからこそ「後悔はしたくないな」と言えるのです。
余裕のない人の言う「後悔したくない」は、「もう後がない・・・」の言い換えです。それは博打要素も含まれるので、後がない人の場合は危険が増します。
ですが、西田尚美さんは別。選択肢があり、しかも試行錯誤する頭と根性があります。
考えたことを行動し続ける気持ちがあるのです。
そんな人が「後悔しないようにしたい!」と行動した日には、そりゃあいつかは結果は出るでしょう!
思考④:負けず嫌い!
これは3にも通ずるものがありますね。「後悔したくない」という負けず嫌いな性格から、勝つためにはどうするか。それを考えて行動し続けることができるのです。
こういった点から、西田尚美さんが若い頃からヤバかったことがわかりますね。功績だけを見てもすごいのですが、それまでの過程を見るともっと分かった、ということなのです。
そんな西田尚美さんは2005年7月に入籍をされます。旦那さんはあの世界でも活躍する竹ヶ原敏之介さんですので詳しくはこちらで書いた記事をどうぞ。