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かっこよくて、スタイルも抜群で、ファッションモデルとしても活躍しており、とっても華やかに見える大東駿介さん!
ですが、そんな大東俊介さんの生い立ちは取り返しの付かない程、壮絶な生活だったそうです。
大東駿介さんはどんな幼少時代をすごしたのでしょうか。
目次
大東駿介の生い立ちが壮絶すぎる!
映画やドラマではさわやかに、素晴らしい演技を見せてくれている大東駿介さん。
彼の幼少時代からの壮絶すぎる生い立ちについてお伝えしたいと思います。
8歳のときに父が蒸発!
大東駿介さんは大阪で生まれ大阪で育ちました。
父親はタクシーの運転手をしていたそうですが、顔を合わせてゆっくりと遊んだ記憶はないそうです。
大東駿介さんが誕生日の時にはタクシーの中でゆっくりと過ごした記憶があるそうですが、幼い子供にとって、誕生日がタクシーの中とはちょっと寂しい気もしますね。
そして、大東駿介さんの父親は、大東駿介さんが8歳の時に、蒸発しそれっきり家には帰ってこなかったそうです。
その後両親は離婚をしていたそうですが、母親からは、「父親は失踪した」と伝えられただけで、母親が友人と話している際に、離婚をしたと聞き、そこで初めて両親が離婚していることを知ったそうです。
両親からなんの説明も無く、いつの間にか自分の両親が離婚していたなんて、幼い大東駿介さんにとってどんな心境だったのでしょうか。
小さい身体でずっと色々な事に耐えていたんでしょうね。
中学のときに母が蒸発して一人暮らしに!
大東駿介さんは父親が蒸発してからは母親と2人で生活していました。
大東駿介さんの母親はクリーニング店を営んでいたそうですが、大東駿介さんが中学1年生の頃になると、店を休んで家に帰ってこない事が度々あったそうです。
中学1年生で食べ盛りの大東駿介さんはレジから500円玉を取ってご飯を食べていたと言うことです。
食べ盛りの男の子にとって、家に帰ってもご飯が無いなんてどんな思いでレジから500円玉を取って居たのでしょうか。
想像しただけでとても心が苦しくなるような光景ですね。
そして、そんな日が何ヶ月か続き、大東駿介さんの母親はついに家に帰ってこなくなったそうです。
父親に続き、母親も帰ってこないなんて、本当に胸が痛くなるエピソードです。
大東駿介の壮絶すぎる生い立ち~中学時代~!
父親も母親も蒸発してしまい、中学生でありながら、一人で生活をしていた大東駿介さん。中学生の一人暮らしとはどんなものなのでしょうか。
壮絶すぎる大東駿介さんの中学時代をお伝えします。
食べ物がなく10円の駄菓子が生命線!
父親も母親も居なくなってしまった中学時代の大東駿介さんは、食費や生活費は母親が残していった現金と、レジに残っている現金でなんとか食いつないでいたそうです。
最後の方は、1円玉をかき集めて10円の駄菓子「どんどん焼」を買うという状態だったそうです。
食べ盛りの中学生男子にとって10円の駄菓子で食いつなぐということはどれだけ苦しかったことでしょうか。
ライフラインが止まる!
中学生で一人で生活していた大東駿介さんですが、ついにお金もつきてきて、電気、ガス、水道のライフラインも止まってしまったそうです。
ライフラインも泊まり、当然夜は真っ暗、水も出なかったと言うことですからお風呂も入れません。
年頃の中学生の男の子がこんな状況で一体どんな気持ちで1日1日を乗り越えていったのでしょうか。
話し相手はウサギ!?
大東駿介さんは、小学校5年生の頃に母親が拾ってきたウサギを飼っていたそうです。
両親も出て行ってしまい、一人になってしまった大東駿介さん。
しまいには「自分は社会に出ちゃいけないんじゃいか」と思ってしまい、引きこもりになってしまったそうです。そんな大東駿介さんの唯一の話相手は飼っていたウサギだったということです。
ほとんどお世話もせず、コロコロうんちを放置していたということですが、そんな部屋の中で1日中ウサギと過ごし、高校生になるまでそのような生活を送っていたそうです。
大東駿介の命を救った恩人たち!
そんな、矢先真っ暗の大東駿介さんですが、彼の人生を変えた命の恩人達がいます!
この方達に出会っていたからこそ今の大東駿介さんが居るということは間違いないでしょう!
「金属バット」が連れ出してくれた!?
完全に引きこもりとなっていた大東駿介さんです、元々仲が良かった5人組の友達が毎日外から「遊ぼう」と声を掛けてくれていたそうです!
大東駿介さんは、窓から顔も出さずに無視し続けていたところ、突然ある日、玄関のドアを壊して無理矢理入ってきて、それがきっかけで、大東駿介さんの家が仲間達のたまり場となったそうです!
このときの仲間の1人が漫才コンビ「金属バット」の小林圭輔さんだそうです!
玄関のドアを壊したことは置いといて、心配してくれる友達が居ると言うことは本当に恵まれていますね!
先生の菓子パン!
学校にお弁当も持って行けず、お昼ご飯を食べていなかった中学生の大東駿介さん。それに気づいた担任の先生が、コンビニで菓子パンを買ってきてこっそり渡してくれたそうです。
なんとも泣けるエピソードですね・・。
大東駿介さんは、中でもスティックチョコパンとジャンマーガリンのコッペパンが美味しかったそうで、芸能人になった今でも大好きだということです。
生徒思いの優しい先生に出会えて良かったですね!
育ての親になってくれた叔母!
大東駿介さんはなんと、ひとりぼっちの生活を約1年も続け、その後祖母に引き取られました。
引き取ってくれた祖母は大東駿介さんを我が子のよに育ててくれたそうです。
そのお陰で、高校生活をとても楽しく過ごすことが出来、従兄とも仲が良く、一人っ子だった大東駿介さんは今でも本当の兄のように慕っているそうです。
そして、アルバイトを始めた大東駿介さんは、コツコツとお金を貯めて従兄と一緒に17歳で上京しました!
大東駿介の両親のその後はどうなった!?
突然我が子の前から姿を消してしまった大東駿介さんのご両親。
中学生の息子を1人置き去りにし、ご両親は一体どんなお気持ちだったのでしょうか。
そして、その後はどうなったのでしょう。
母親と再会した!?
大東駿介さんが中学1年の時に蒸発し、姿を消した母親ですが、大東駿介さんが高校入学の時に連絡があり、1度だけ再会しているそうです。
その後は、「一緒に住もう」と言われたそうですが、大東駿介さんは応じる事はなかったそうです。
確かに、幼い頃、ひどい裏切られ方をして、また一緒に住むなんて考えられません。
母親とはそれっきり会っていないと、2019年に出演した「A-studio」で語っています。
現在の状況は分かりませんが、大東駿介さんをこれ以上傷つけない対応をしてほしいと思います。
父親のその後
大東駿介さんが8歳の時に蒸発した父親ですが、その後再会することはなかったそうです。
大東駿介さんが27歳か28歳の頃に一度再会するきかっけがあったそうですが、会わなかったそうです。
そして、大東駿介さんが父親に会おうと決心したころには父親は既に亡くなっていたそうです。
そんな父親ではありましたが、大東駿介さんは「ドラマティックな生き方をしている人」だと語っており、「いろいろなものを失った父親ですが、そんな生き様にもすごく生命力を感じている」とも語っています。
壮絶な過去を乗り越えて父親の気持ちを考えることが出来るようになった大東駿介さん。
最後に一目会わせてあげたかったですね。お父様も後悔しているのではないでしょうか。
大東駿介の生い立ちがトラウマ過ぎて家族と一緒に過ごせない!?
そんな大東駿介さんですが、現在は結婚されており3人の子供を持つ立派な父親であります!
2015年12月に一般女性との間に妊娠が発覚し第1子を授かりましたが、過去の自分の両親が家を出て行ったというトラウマから、家庭を築くということが想像出来ず、養育費と生活費を支払い、頻繁に会いに行くという別居生活をされていたそうです。
せっかくの新婚生活も幼い頃のトラウマでこの様な形になってしまうなんて・・。
現在は更に2人の子供も産まれ、家族5人で暮らしているそうです。
時間はかかりましたが、大東駿介さんが幸せな家庭を持てて何よりです。
トラウマを克服出来るまで支え続けてきた奥様も素晴らしいですね!
壮絶な幼少時代を乗り越えた大東駿介さんの精神力が本当に強くて素晴らしいです!
大東駿介さんらしく、これらも頑張って頂きたいですね!
最後までご覧頂きありがとうございました!