【只の美人じゃない】黒柳徹子の若い頃は容姿も行動も世界レベルの半生を振り返る!

玉ねぎヘアーの黒柳徹子さんですが、現在もとても美しいです。若い頃は超美人だったそうです。

30歳くらいの間には、いろいろな恋愛経験があったということですが、さまざまな理由から結婚には至らなかったといいます。

黒柳徹子の若い頃が美しすぎる!


出典元:Pinterest

黒柳徹子さんは、音大卒業後NHKの専属女優としてデビューしています。

ドラマや声優、バラエティー番組で人気の出た黒柳さんでしたが、30代後半には人生を見つめなおすためNYまで留学に行きます。

この留学中に編み出したのが「玉ねぎヘアー」でした。

20代の頃


出展:Instagram

今も美しさの変わらない黒柳徹子さんですが、若いころは超美人といわれていました。

黒柳さんは絶世の美女だといわれていましたが、結婚しなかったのには理由があります。

黒柳さんによると結婚していてもいなくても、自分に変わりはない」という自身の考えがあったからだといいます。

若い頃もとても美人でした。ニューヨークでは、振袖姿のバービー人形が贈られたそうです。

これは、黒柳さんの振袖姿をモデルに作られた人形だそうです。

30代の頃

出展:Yahoo!

黒柳さんがニューヨークに留学したのは30代の頃でした。着物姿を見るとても30代には見えません。

1972年の若い頃には、日中国交正常化で初めて日本にパンダが来たときに、パンダといえば「黒柳さん」と連想するほどパンダが好きだったようです。

40代の頃

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黒柳徹子さんが30代、40代の頃は女性の社会進出が始まったときでした。女性の生き方も同時に変化しているように思えた時代です。

黒柳さんが30代の頃は、まだTVが始まってから10年経過していなかったため、周りも含めて「手探り状態」といった感じだったといいます。

30代というのは、黒柳さんにとって25、26歳は中途半端な状態で、やっと30歳を超えたころから「あーやっと、過ぎた!」といった状態でした。

若い頃から継続してる美の秘訣がヤバい!

出展:デイリー

黒柳さんが昔から続けている「美の秘訣」を紹介させていただきます!

秘訣①:二度寝就寝法

黒柳徹子さんのパワーの秘訣は、「二度寝就寝法」というもので、「夜は11時ころお布団に入り、朝は5時ころ目が覚めてしまうので、一度起きて白湯を飲むようにしています!そこで、チョコレートなどを少し食べてもう一度寝ます!」

というように話しています。トータルでは10時間寝るようにしているそうです。

朝のすごく眠たいときに、二度寝できるのは超幸せですよね!!

秘訣②:笑顔!

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黒柳さんと羽生結弦選手がCMで初出演しています!

「こころの笑顔をすべての人に。あしたの健康をあなたのものに。」と2021年10月より全国でオンエアを開始しています。

東和薬品グループの「こころの笑顔」をテーマにインタビュー動画を作成してあります。

見ている方も笑顔になれるような素敵な表情のエピソードが見れます。

黒柳さんは東和薬品のイメージキャラクターを2004年より努めていらっしゃいます。

「こころの笑顔」は、東和薬品の究極の理念であり、すこやかな身体と満ち足りたこころからよろこびが笑顔としてあふれてくるというのは、とてもわかりやすいです。

秘訣③:ノーブラ!?

黒柳さんの出ている日本テレビの番組の中で「脳年齢を判定するテスト」というのがありました。

テストでは「派手な下着を持っているか?」について「はい」と答えた黒柳さんでした。

このときに、清水ミチコさんから「ブラ、しないって言ってましたよね。」と言われ「する必要がないときにはしなくてもいいじゃない。」と締め付けるものはないほうがよい」と周りを驚かせました。

黒柳さんも「締め付け感」のあるものは苦手みたいですね。ファッションに気を使われると思いますが、ノーブラ派とは知らなかったです!

秘訣④:ヒンズースクワット

黒柳徹子さんは、「ヒンズースクワット」という、ジャイアント馬場さんが徹子さんの番組の中で伝授したストレッチを毎日行っているそうです。

「このスクワットを毎日続けることで100歳まで舞台に出れますよ。」と馬場さんから言われたこともあり、毎日続けているそうです。

ストレッチでもなんでも毎日続けるというのはとても大変に思えてきます。

黒柳さんが毎日ストレッチを続けていることもあって、スタイルも健康もずっと維持し続けていらっしゃるということでしょう。

どんなに眠い日でも旅先でも続けているというので驚きですね!

秘訣⑤:ウォーキング

黒柳さんは、普段健康にはとても気を使っているそうです。

以前は、スクワットや錘をつけてウォーキングしていると話しておられたようです。

最近は、自身のインスタグラムを更新していましたが、コロナで自宅のフイットネスバイクなどでトレーニングする動画などを公開しているみたいです。

いしだあゆみさんが「徹子の部屋」に出ていたときには、まだウォーキングをしていたみたいなんですが、ジャイアント馬場さんがゲストで出演したときからスクワットをすすめられて、それからスクワットを20年以上も続けています。20年以上も続けられるってステキですよね!

秘訣⑥:ステーキ


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夕食のスをーキべたあとに「友人に誘われステーキを一般人の4倍もの早さで食べたという話です。聞くところによると、お肉が大好物で早い消化ががでれてまたステきるそうです。」というエピソードがあるくらいです!

消化が早いのか、食べてもすぐにお腹がすくらしいです。なんでもお肉が好きというのは、長寿の方も多いらしく、元気の秘訣となっているようです。

黒柳徹子さんの元気の秘訣の「お肉が好き」というのは都市伝説にもなっているらしいです。

でも、ステーキ毎日食べているというのには驚きましたね!

若い頃に対しての世間の声が絶賛の嵐!

黒柳徹子さんの若い頃に対しての世間の声が3つほどあります!

  • 黒柳徹子さんの若い頃は、すごい美人で可愛いかったこと。
  • 若い頃の黒柳さんがインスタ女子みたいで、モデルの菜々緒にも似ている。
  • ため息の出るような美人でモノクロ写真やアメリカ留学時の画像などがきれい!

黒柳さんの持っていらっしゃる雰囲気としては、モデル的な要素もある方ではないでしょうか?当時は真似する人も多かったみたいです。

キレイだけじゃない!若い頃の活動も素敵すぎる!


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黒柳徹子さんが女優になったきっかけとして、「1952年に翌年のNHKのテレビ放送に備え招かれていたアメリカ合衆国NBCプロデューサーのテッ

ド・アレグレッティーの講演で「アメリカのテレビ局はスポンサーの影響でニュース・教養番組はテレビ放送全体の15%だが、一応公共放送が建前

のNHKではニュース教養番組が主になると聞いているので、世界の風俗・習慣・戦争を見る事が出来るので、永久的な平和がテレビによってもた

らせる」を聞いて、プロとしての女優意識が目覚めた」ということがあったそうです。

小学校時代

出展:Yahoo!

教室内を歩いたり落ち着きがないところから問題視され退学しますが、トモエ学園に転校します。

トモエ学園では小林校長先生と出会います。

小学校の先生から言われたことは「君はいい子なんだよ。」と声をかけられました。

疎外感を感じはじめていたときで、今あるのは校長先生のおかげだと話しています。

香蘭女学校から東洋音楽学校、そしてNHKへ

シベリアで捕虜になっていたお父さんが家に戻ります。

その頃には黒柳さんも女子学生に成長していました。東京に戻った黒柳さんは香欄女学校に進学しました。そのときにイタリア製のオペラ映画の「トスカ」を見てからオペラ歌手に憧れるようになり、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)の声楽科に入ります。

NHKの専属女優募集に応募したきっかけは、電柱のポスターの「雪の女王」でした。

日本で始まるテレビ放送(NHK)の専属女優募集に親に内緒で応募しています。

女優デビュー後は落ちこぼれだった!?

黒柳さんは女優としてNHKへ女優としてデビューしますが、通行人の役は目立ってしまうし「日本語がおかしい」と先輩俳優に言われてショックを受けてしまいます。

養成所の卒業式に遅刻して泣いてしまったことや、厳しい指導をする怖い先輩の存在があとになってありがたかったと気がついた話、雑誌のインタビューでまったく言っていないことを書かれてショックを受けて悲しかったエピソードなどあります。

落ちこぼれから大人気女優へ

落ちこぼれとして自信をなくしていた黒柳さんでしたが、デビューの翌年の3匹の白い子猿が主役の「ヤン坊ニン坊トン坊」というラジオドラマの子猿の声優に抜擢されます。

その後は人気女優として引っ張りだこになります。週のレギュラーも10本と、睡眠時間が3時間ということが続き入院したこともありました。

世界で一つだけのバービー人形

引用:Twitter

マテル社から黒柳さんに対し、世界に1体しかない特注品のバービー人形が贈られています。

黒柳さんは、バービー人形のモデルとなったのは、36歳のときでした。

人形については「玉ねぎの頭の部分がよくできている」と笑顔を見せていたということでした。

人生を見つめなおすためにニューヨーク留学

30代後半までテレビや舞台で活躍していた黒柳さんでした。

「芸能人としてちやほやされることに慣れない方がよい」と38歳で1年間仕事を休みアメリカに留学しました。ニューヨークでは演劇学校に通うなどしています。

1984年、ユニセフ親善大使に任命される

黒柳さんは、女優デビューした頃から本の朗読のボランティアを行っていました。

「窓ぎわのトットちゃん」の印税で「社会法人トット基金」を設立、耳の不自由な方のプロの劇団を発足しました。

1984年には「窓ぎわのトットちゃん」がきっかけで世界で4人目、日本人初のユニセフ親善大使に任命されました。

婚期はあったが、結婚はしてない

若い頃から美人でモテモテで、結婚を考えた相手もいたみたいです。しかし、結局は仕事を選んでしまったそうです。

黒柳さんがもっとも結婚と近い交際をしていたのは、留学中に知り合った音楽家の男性です。

黒柳さんの書籍では、「彼氏にパリに来てほしい」と誘われたことがあったと綴られています。

その音楽家はブルガリア人のピアニストのアレクシス・ワイセンベルクさんではないかといわれています。

まとめ

はじめてテレビが放映されはじめた頃から、ずっと芸能界で活躍され続けている黒柳徹子さんです。たくさんの方が子どものころからテレビで活躍

されている黒柳さんを知っているかと思います。若い頃からずっと美しく活躍されている黒柳さんですが、長く続けられる秘訣とはいったい何なのでしょうか?

若い頃から現在までをまとめてみました。音楽一家に育った黒柳さん、これからも元気でたくさん活躍してほしいです。

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