長澤まさみの父・長澤和明は元日本代表の凄い人!監督としてもヤバ いし娘とのエピソードも最高だった!

長澤和明さんと言えば、『ジュビロ磐田』の初代監督としてチームをJリーグに昇格させたという凄い功績があります。

そして長澤和明さんが監督になったチームが次々と好成績をあげていくのは、技術的な問題もありますがその人柄からチーム全体の結束力も強くしていくからではないでしょうか。

そんなサッカー界で有名な長澤和明さんですが、他の業界でもちょっと有名な方だったのです。

ご存じの方も多いかと思いますが、長澤和明さんは女優・長澤まさみさんの父親です。

とても仲良しの父娘のほほえましいエピソードも紹介していきます。

父・長澤和明のプロフィール

出典元:Sponichi Annex

名前:長澤和明
生年月日:1958年2月4日
出身地:静岡県清水市
血液型:A型
身長:177cm
最終学歴:東京農業大学

16歳の高校生の時からその実力を発揮しミッドフィルダーとして活躍していた長澤和明さん。

日本代表としても活躍し、ケガで現役を引退してからはコーチ、監督としてもその名をあげ『ジュビロ磐田』の初代監督としてチームのJ1昇格に貢献しています。

数々のチームの監督を務め、幅広い年代の選手を情熱的に指導して実績を重ねている名指導者であり、とても面倒見の良いことでも知られています。

元サッカー日本代表の凄い人!

出典元:Pinterest

長澤和明さんはケガで泣く泣く31歳で引退したものの、サッカー界では有名な凄い人です。

1973年:高校総体3位
1974年:高校選手権準優勝
1976年:東京農業大学サッカー部
1980年:ヤマハ発動機サッカー部
1982年:ハンス・オフトがコーチ就任時、主将

【日本代表歴】1978年~1985年
ポジションMFに木村和司がいたので出場は9試合のみ
ケガに泣かされ31歳で引退

MF:ミッドフィルダーの役割

長澤和明さんが試合の時についていたポジションがミッドフィルダー、略してMF。

フィールドの中央で、フォワード(FW)とディフェンダー(DF)の間で両者をつなぐリンクマンとも呼ばれるポジションです。

FWとDFをつなぎつつ攻撃と守備の両方に関わるポジションで、チームにとっては重要なポジションになります。

【日本の有名なMF】

  • 中田英寿
  • 中村俊輔
  • 本田圭佑
  • 小野伸二
  • 香川真司
  • 乾貴士
  • ラモス瑠偉

そして、日本で初めてプロ契約を結んだ木村和司さんも日本を代表するMFなのですが、長澤和明さんが日本代表として登録していた時期がちょうどこの木村和司さんと重なる時期でした。

出典元:Twitter

1つの試合に2人のMFはいらないので試合への出場回数もなかなか増やせなかったのでしょう。

ただケガのせいもあったのかもしれませんね。

現在はサッカーとの兼業農家?

出典元:Instagram

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現在は実家でみかんや梨の栽培をしながら、地元の浜松フットボールアカデミーでサッカーの指導にあたったり、Jリーグサッカーの試合の解説を担当したりしているようです。

実家が農家だったので大学も農業大学に進学していた長澤和明さんですが、卒業後は実家に戻ることもなくサッカーへの道を選択しています。

そんな選択に理解があったのも、サッカー人口の多い静岡県ならではだったのでしょうか。

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娘である長澤まさみさんがクボタのトラクタのCMに起用されているのも何かご縁を感じますね。

父親の実家が農家だったので、大自然の中でトラクタを運転出来て楽しかったと話しています。

そのトラクタの運転技術も褒めらたそうですよ。

選手引退後は監督として活躍!

出典元:Sponichi Annex

ヤマハ発動機のコーチを経て1991年に監督に就任した長澤和明さんですが、監督在任中『ジュビロ磐田』に改称したため、『ヤマハ発動機』の最後の監督であり『ジュビロ磐田』の初代監督となりました。

1991年:ヤマハ発動機サッカー部監督就任
1992年:旧J1(ジャパンフットボールリーグ)優勝
1993年:Jリーグ準会員となり『ジュビロ磐田』に改称
1994年:Jリーグ正会員に昇格
1994年:オフト氏を監督として再招へいしフロントに降格となり退社(現場に拘りたかったため)
1995年:Lリーグ・鈴与清水FCラブリーレディース監督就任
1997年:ジャパンフットボールリーグ・本田技研工業サッカー部(HondaFC)監督就任
1999年:ソニー仙台FC監督就任
2001年:常葉学園橘高校サッカー部(静岡県)監督就任
2005年:静岡県大会で優勝、全国大会へ
2008年:浜松大学サッカー部監督就任
2008年:スカパー!、静岡放送のジュビロ磐田ホームゲームの解説担当
2013年:グランセナ新潟FC(北信越フットボールリーグ2部所属)総監督就任
2014年:北越高等学校サッカー部(プリンスリーグ北信越)監督就任
2015年:母校・静岡県立清水東高等学校サッカー部ヘッドコーチ就任
2017年:シーズン終了後退任
2017年11月:浜松フットボールアカデミーで小・中学生にサッカーの指導
2020年:浜松フットボールアカデミー・副理事長

出典元:内閣府NPO

監督としての長澤和明さんの功績がすごいですね。

『ジュビロ磐田』は優勝してJリーグに昇格

常葉学園橘高校サッカー部は静岡県大会で優勝して全国大会へ

そしてサッカーの現場を勇退後は実家に戻り、みかんや梨を栽培しながら地元で未来の日本代表のタマゴを育てているようです。

ジュビロ磐田の初監督だった!?

ケガという不運に泣かされ、31歳で現役を引退した長澤和明さんは、そのまま所属していたヤマハ発動機サッカー部のコーチとして後輩の育成にあたります。

そして1991年に監督に就任しチームを優勝させてJリーグに昇格した年、ヤマハ発動機は今の『ジュビロ磐田』に改称したので、ヤマハ発動機最後の監督であり『ジュビロ磐田』の初代監督となったのでした。

監督としての手腕、娘にも活きる!?

日本代表選手として活躍し、監督に就任した長澤和明さんですが、その経歴が娘である長澤まさみさんの芸能活動にも大きく影響しています。

芸能界に入ったきっかけはジュビロ磐田

長澤和明さんがジュビロ磐田の監督をしていた時、幼少期から芸能界に憧れていた長澤まさみさんに大きなチャンスが訪れます。

娘から相談されていた母親が身近にいた芸能人に相談したのです。

その芸能人というのが、父・長澤和明さんが監督をしていたジュビロ磐田で活躍していたゴン中山こと中山雅史選手の妻で女優の生田智子さんでした。

監督のお嬢さんが芸能界に憧れていると知り、ちょうどタイミングよく所属事務所の東宝芸能で東宝シンデレラのオーディションをやっていたことを思い出し伝えています。

出典元:Instagrammer News

ただ、伝えただけでその後はノータッチだったので、グランプリを取ったと聞いた時はとても驚いたそうです。

まだ小学6年生ですからね。

生田智子さんも「まさか!?」だったのでしょう。

まだ小学生の娘の小さな夢を真剣に考えて、オーディションに送り出してくれた両親もすごいです。

ちなみに、履歴書は母親が書いたそうで「ジャズダンスが得意」という無茶ぶりもあったそうです。

きっと父・長澤和明さんがサッカー界でスポットライトをあびていた存在だからこそ、そのスポットライトが当たる世界が現実として身近に感じられていたのでしょうね。

強く光るものを持っていた長澤まさみさんは、映画『クロスファイア』でデビューした後、『世界の中心で、愛をさけぶ』という作品で大ブレイクを果たし、数々の作品に出演しています。

2017年新春ドラマスペシャル『君に捧げるエンブレム』

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2017年に放送された新春ドラマスペシャル『君に捧げるエンブレム』は実話から作られています。

櫻井翔さんが演じた『鷹匠和也(たかじょうかずや)』のモデルとなった京谷和幸さんは、23歳で日本代表となり将来を嘱望されていたのですが、交通事故に遭い下半身不随となってサッカー選手生命を絶たれてしまいます。

結婚式を2ヶ月先に控えていた長澤まさみさん演じる婚約者に支えられ、リハビリを通して車椅子バスケと出会いパラリンピック日本代表として世界を目指していくストーリーです。

出典元:KyoyaStyle

この京谷和幸さんのポジションも父・長澤和明さんと同じMFでした。

現役時代の父親を見てきた娘としては、京谷和幸さんと婚約者が自身の両親と重なって見えたようです。

「父親との思い出が役づくりをする上での助けになった」

父親のサッカーに対する熱い想いを見続けてきたからこそ言える言葉なのでしょう。

この作品への出演は運命だったのではないか、とも言っていました。

父親とサッカーという存在を強く感じた作品だったのでしょう。

娘とのエピソード

出典元:Slope

長澤和明さんと長澤まさみさんと言えば、仲の良い父娘であることは有名ですが、小学6年生でデビューして中学2年の時に上京しているので、一緒に生活をしていた期間は短かかったのですね。

インタビューなどでその仲良しエピソードを語っているので、いくつかその仲良しエピソードをご紹介します。

エピソード①:父をアッシーに!?

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小学6年生で東宝シンデレラのグランプリに輝き、映画デビュー。

『ピチレモン』の専属モデルをしたりドラマにも出演していた長澤まさみさんは、レギュラーが決まった中学2年の時に上京して親元を離れています。

普通ならまだまだ甘えたり反抗したりしたい年齢です。

実家で親に甘えたり反抗したり出来たのも14歳くらいまでだったんですね。

仲の良い家族だといつも自慢している長澤まさみさんは、実家で暮らしていた時は父・長澤和明さんには甘え放題だったようで、アッシー君のようにいろいろなところに連れて行ってもらっていたと話しています。

小学生だと自分で行ける場所も限られてしまうので、親も出来る限りその願いを聞いてあげていたのでしょう。

これが高校生ともなれば「着いてこないで!」になっちゃいますからね。

それにしてもサッカーの指導に関しては熱くなりすぎるところがあり、退席処分を受けたこともあるという熱血漢の長澤和明さんですが、やっぱり娘には甘いんですね。

エピソード②:教え子にミサンガ

              

2001年から監督として指導してきた常葉学園橘高校が、2005年の静岡県大会で見事初優勝を飾り、全国高校サッカーに初出場することが決まった時の長澤まさみさんの優しいエピソードがあります。

全国大会という大きな晴れ舞台ですから、当然会場に応援に行って直接チームにエールを送りたかったと思います。

18歳と言えばまさに同年代の友人を応援する気持ちですよね。

ただ、長澤まさみさんのことですから、実際に試合場に行ったら周囲の目など気にせず、立ちあがって大声で応援しちゃいそうですよね。

『世界の中心で、愛をさけぶ』で注目され、『優しい時間』や『ドラゴン桜』などに出演していた頃で、どこにいても注目されるスター女優さんだったので、直接応援に行って目立ってしまってはいけないとガマンしたようです。

そして応援に行けないかわりに、選手たちにミサンガを作って贈ったそうです。

日本ではミサンガと言えばサッカーの縁起物でしたよね。

長澤和明さんにとっても大きな応援になっていたでしょう。

残念ながら初戦敗退という結果に終わってしまいましたが、長澤まさみさんの優しさは一生の記念になったと思います。

エピソード③:親バカ!?

出典元:Twitter

2007年放送のドラマ『メ~テレ開局45周年記念ドラマスペシャル・ガンジス河でバタフライ』の主演が決まった娘に「行くな!」と大反対したという長澤和明さん

娘の仕事に口を出す親バカ!?

サッカー選手として海外遠征もたくさんあったので、楽しさとともに海外の怖さも知っている長澤和明さんだからこそ、娘の実を案じ思わず出てしまった言葉なのでしょう。

女優であれば海外での撮影もあって当然のこと。

しかも、簡単に「行きたくない」と言えるわけもありません。

ただ、映画の撮影場所はガンジス河

インドでは聖なる河とされているガンジス河ですが、世界で最も汚染された5つの河川に選ばれたこともあるほど汚染が進んだ河でした。

この作品の著者は泳いでいて人にぶつかったので謝ったら死体だった、などというエピソードも書いていて、そんな恐ろしい場所に喜んで娘を送り出す親はいないでしょう。

それでも一度決めたことはやり通す!という娘の性格はわかっていたでしょうから、最終的に折れて送り出したのだと思います。

まぁ『親子ゲンカ』にもなりますよね。

遠い海外で娘に何かあったら、と心配になるのは当然のことです。

エピソード④:親子で食事

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今は実家で農業を営みながら地元の浜松フットボールアカデミーの副理事長も務めている長澤和明さんですが、まだまだサッカーに関しても現役で仕事は受けているようです。

サッカー解説などの依頼があって上京する時は、長澤まさみさんも時間を調整して食事などに行くようにしているようです。

どんなに久しぶりでも親子ですからその関係が離れることはありません。

いつ会っても食事をしながらくだらない話で盛り上がっているようです。

年齢的にも「そろそろどうなんだ?」なんて探りを入れているかもしれませんね。

出典元:Instagram

コメダ珈琲店静岡インター店にはこんなサインが飾られているそうです。

まとめ

サッカーで名を馳せた長澤和明さんも一人の父親。

どんなに厳しい監督であったとしても、娘にはかたなしのようですね。

これからも愛するサッカーとともに楽しい人生を送っていただけたらと思います。

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