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高井麻巳子さんは、今から30年以上も前、日本全体がバブル期にさしかかって浮かれていた時代に、アイドルグループ『おニャン子クラブ』のメンバーとして活躍していました。
電撃結婚を発表して芸能界を引退した後は、表舞台にほとんど姿を見せていない高井麻巳子さんですが、現在なにをしているのか、気になっている人も多いため調べてみました。
目次
高井麻巳子は現在は芸能界を完全に引退している!
高井麻巳子さんは、1985年に原宿を歩いているときにスカウトされ、アイドルグループ『おニャン子クラブ』に加入しました。
おニャン子クラブは当時、月~金の夕方に放送していたテレビ番組『夕やけニャンニャン』にレギュラーとして出演していて、番組とともに大人気となりました。
高井麻巳子さんは、たくさんいるメンバーの中でも特に人気を獲得し、ソロデビューも果たしています。
ところが、人気絶頂だった1987年におニャン子クラブを卒業し、さらにその翌年にはグループの仕掛人だった秋元康さんと電撃結婚して引退してしまい、多くのファンを奈落の底に突き落としました。
以後、高井麻巳子さんは芸能界から完全に引退して、メディアに登場することもなくなっています。
人気アイドルとそのプロデューサー的存在の電撃結婚は、センセーショナルな事件として報じられ、当時の秋元康さんは数多くの男性ファンを敵に回していましたね。
高井麻巳子の現在の活動内容について!
引用:Amazon
高井麻巳子さんは芸能界引退後、在学していた美術系の短大を卒業して、秋元康さんとともにニューヨークで生活していました。
その約1年半後に帰国した後からの様子について見ていきます。
イラストレーターとして本を出したり、秋元康さんの個人事務所の監査役を務めるなど多岐にわたって活動していたようですね。
活動①:イラストレーターとして活躍し本も出版した!
高井麻巳子さんは、引退してしばらくの間は専業主婦をしていましたが、2001年に長女を出産してからは、イラストレーターとして活動しています。
2003年には秋元麻巳子名義で、秋元康さんと共に『ぞうネコ』という絵本を出版しました。
この絵本は、文章を秋元康さんが書き下ろし、高井麻巳子さんがそれにイラストをつけたもので、2001年に誕生したお子さんの影響が大きかったのではと言われています。
また絵本以外にも『お取り寄せ』シリーズと呼ばれる書籍を発売しています。
全国のお取り寄せできる商品をセレクションし、高井麻巳子さんが自作のイラストを交えながら紹介するもので、合計で3冊出版しました。
高井麻巳子さんは絵が得意で、美術系の短大に通うほどの腕前がありましたので、その長所を活かしたお仕事と言えますね。
活動②:株式会社秋元康事務所の監査役!
引用:Google
高井麻巳子さんは、夫・秋元康さんの個人事務所『株式会社秋元康事務所』で、監査役の肩書を持っています。
監査役と聞いてもどんな仕事なのか、ピンと来ない人も多いのではないでしょうか。
税理士関連のサイト情報によると、監査役は会社に脱税などの不正がないかをチェックする役割を果たすようです。
「監査役」とは、株式会社において取締役の職務執行状況を監督・監査する役職です。
取締役に不正がないかを調査し、不正が発覚した際には是正します。
不正とは、たとえば粉飾決算・脱税や労働基準法違反などです。
(引用元:AGSコンサルティング)
ただ小さな事務所の場合、夫が取締役で妻が監査役になっていることが多く、節税対策として名前だけ監査役にしておき、実際はなにもしていないケースもあるようです。
高井麻巳子さんの場合がどうなのかはわかりませんが、秋元康事務所は5人未満の小さな会社で、実務はプロの税理士などに外注しているでしょうし、毎日忙しいという感じではないのかもしれませんね。
高井麻已子は現在の姿も美しい!
引用:Google
高井麻巳子さんは芸能界から引退してからメディアに出ておらず、インタビューなどを動画で撮られたこともありません。
ただ時折、写真が紹介されることがあり、現在の姿を少しだけ知ることができます。
2002年に秋元康さんが朝の情報番組『はなまるマーケット』にゲスト出演した際、下の写真が番組内で紹介されました。
2002年:娘を抱える姿
娘さんを抱っこしている高井麻巳子さんで、阪神の連勝に浮かれているときの姿らしいのですが、お綺麗ですね。
次に2013年、高井麻巳子さんが林真理子さんと一緒に歌舞伎を見に行った際の写真が、林真理子さんのブログに掲載されました。
着物姿がとてもよく似合いますね。林真理子さんは、高井麻巳子さんが出版した絵本『ぞうネコ』の帯コメントも担当しており、昔から親交がありました。
2013年:着物姿
引用元:X
最後に撮影した年は不明ですが、井上耕養庵というお菓子屋さんのホームページに掲載されている、高井麻巳子さんの写真です。
雑誌でよく井上耕養庵の商品を紹介していたそうで、『秋元麻巳子さんも絶賛』とホームページに書かれていました。
目撃情報もありまして、2015年にはナインティナインの岡村隆史さんが、秋元康さんのホームパーティーへ行ったときに高井麻巳子さんと会っており、昔とぜんぜん変わらず綺麗だったと感想を述べています。
2018年には、同じおニャン子クラブ出身の工藤静香さんが、レストランで偶然高井麻巳子さんと出会い、嬉しくてハグしたエピソードをテレビ番組で話していました。
高井麻巳子と旦那・秋元康の馴れ初めについて
高井麻巳子さんは1988年5月に、何の前触れもなく突然、秋元康さんと結婚し引退することを発表しました。
前月には高井麻巳子さんのファンクラブが結成されたばかりで、結成記念コンサートをよみうりランドEASTで行った直後の出来事でした。
当時は、ファンからも激しい批判が沸き起こり、馴れ初めなどについて語れるような雰囲気ではなく、高井麻巳子さん自身も多くを語らずに芸能界から去り、秋元康さんと共にニューヨークへ旅立ちました。
後日、おニャン子クラブで『うしろゆびさされ組』というユニットを組んでいた岩井由紀子さんが、グループ在籍当時から二人が付き合っていたことを告白しています。
また、高井麻巳子さんと一緒に旅行に行くなど、当時から仲良しだった女優の斉藤由貴さんが、2000年に出版したエッセイ『私の好きなあの人のコト 』の中で、高井麻巳子さんと秋元康さんの結婚にまつわるエピソードを紹介したことなどから、少しずつ馴れ初めがわかってきています。
高井麻巳子から積極的にアプローチした!
斉藤由貴さんによると、秋元康さんが高井麻巳子さんへ声をかけたのではなく、高井麻巳子さんが積極的に秋元康さんにアプローチして、付き合うことになったそうです。
そして、ニューヨークへ行くことが決まった秋元康さんに対して、いっしょにニューヨークへ連れていって!と高井麻巳子さんがお願いして結婚したというのですから、ドラマみたいな展開ですね。
秋元康さんが、高井麻巳子さんの実家へ結婚の挨拶に行ったときのエピソードも伝わってきています。
「娘さんと結婚させてください」とお願いすると、高井麻巳子さんのお父さんから「子どもは天からの授かりものだって言うけれど、本当は預かりものだと思ってました。だから、ずっと預かってただけだから、どうぞ」と言われたそうで、なかなか粋なお父さんですね。
結婚後はニューヨークへ!
秋元康さんと高井麻巳子さんは結婚してすぐに、ニューヨークで新婚生活を始めました。
その後1年半ほど、ニューヨークでの生活が続いたようです。
そのまま日本にいたら、世間からのバッシングも続いていたでしょうし、ニューヨークでの暮らしは二人にとってもかけがえのない時間になったでしょうね。
ちなみに、秋元康さんが美空ひばりさんへ提供した名曲『川の流れのように』は、秋元康さんがニューヨークにあるカフェ・ランターナで作詞したもので、川とはニューヨークのイースト川のことをイメージしたそうです。
この曲の大ヒットにより、秋元康さんの作詞家としての評価が急上昇し、バッシングが終息へ向かう要因のひとつになりました。
ニューヨークでの生活は、秋元康さんにも高井麻巳子さんにも、大きなターニングポイントになったと言えますね。
高井麻已子と旦那・秋元康には娘が1人!
高井麻巳子さんと秋元康さんには、娘さんが1人だけいます。
名前は『秋元せり』さんで、2001年3月5日生まれであることを、秋元康さんがテレビ番組で話していました。
結婚してから13年目にできた、高井麻巳子さんと秋元康さんにとっては待望のお子さんで、かわいくてしかたない雰囲気が伝わってきます。
ちょうど娘さんが1歳になる頃の秋元康さんのインタビューで、娘さんには結婚してほしくないので、誰からも声をかけられないほど不細工に育ってほしいなんて親バカぶりを見せていましたが、実際の娘さんは、お母さんに似た美人に成長しているようです。
大学は慶応義塾大学の可能性が高い
秋元せりさんは、慶應義塾大学の中等部に通っていたことが特定されています。
順調にいけば、そのまま高校・大学とエスカレーター式に進学できることから、秋元せりさんは慶應義塾大学に通っているのでは?という噂が出ていましたが、確証が取れているわけではありません。
秋元せりさんに関する情報はまったく伝わってきませんが、それだけセキュリティのしっかりした学校に通っているからこそ、情報がもれてこないのでは?と考えることもできますね。
娘・秋元せりが芸能界入りする可能性はかなり低い!
引用:Google
秋元せりさんは、高井麻巳子さんに似た美人という噂ですので、芸能界入りするのでは?と期待されていますが、残念ながらその可能性は低そうです。
秋元康さんが芸能界入りに断固として反対しているためで、その反対を押し切ってまで入るのには勇気が必要ですし、そこまでして芸能界へ入りたいという情熱が、秋元せりさんにあるのかどうかもわかりません。
ひとつ言えるのは、見た目がお母さん似であるということなら、中身やクリエイティブ関係の才能はお父さんに似ている可能性も十分考えられますので、秋元せりさんがこれからどんな道に進むのか、楽しみでもありますね。
AKBの「秋元才加」と「秋元真夏」は関係ない
高井麻巳子さんと秋元康さんの娘は『秋元せり』さんですが、当時すでにAKB48や乃木坂46に入っていた『秋元』さんが、実は二人の娘なのではないか?という噂もあったようです。
噂のあった1人目は、元・AKB48の秋元才加さんです。名字が秋元というだけで噂になりましたが、もちろん娘さんではありません。
秋元才加さんは日本人とフィリピン人のハーフとして生まれ、電気やガスが頻繁に止められるほどの貧乏生活を送っていたことを番組で明かしており、大金持ちのセレブでもある秋元せりさんとはまったく違いますね。
噂のあった2人目は元乃木坂46の秋元真夏さんです。同じく名字が秋元ということで噂になりましたが、秋元真夏さんも娘ではありません。
秋元真夏さんのお父さんも当初、芸能界入りに反対しており、その調整をするため、秋元真夏さんは加入直後から1年以上の活動休止を余儀なくされた経緯があります。
芸能界入りに反対という点では秋元康さんと同じですが、乃木坂46が結成された2011年に秋元せりさんはまだ10歳であり、当時高校生であった秋元真夏さんとは、もちろん別人となります。
「高井麻巳子事件」のショックは現在でも残っている
高井麻巳子さんの突然の結婚発表は、当時のファンに大パニックをもたらし、『高井麻巳子事件』と言われるほどの衝撃を与えました。
30年以上経った今も、当時のショックを忘れられない人が数多くいて、衝撃の大きさがわかりますね。いくつか紹介していきましょう。
当時小学生だったということで、現在は40代くらいの方でしょうか。リアルタイムに経験したときの衝撃がわかりますね。
『返してください』と、不定期で繰り返しツイートしている人もいました。
当時Xはありませんでしたが、学校のクラスなどでリアルにこんな声があふれていましたね。
本当にそう思いますね。ネットがない状態でも、相当のバッシングがありましたから。
もしSNSがあったらどんな状況になっていたか、考えただけでも恐ろしいです。