【自分はここにいちゃいけない】竹内結子の生い立ちがヤバすぎる!小学生とは思えないセリフと深すぎる闇!

演技力もあり人気もあり、ドラマや映画にも引っ張りだこだった竹内結子さんのあまり公表されることがなかった生い立ちがヤバすぎるという噂があります。

複雑な家庭環境から小学生ですでに「自分はここにいちゃいけない」と家出未遂を起こしていたとか。

どんな少女時代を過ごしていたのか迫ってみます。

竹内結子の生い立ちが複雑すぎる!


引用:Google

40歳で早世してしまった竹内結子さん。

時々本人の口から語られていた生い立ちはかなりヤバすぎる内容だったものの、竹内結子さんの持つ明るさからその私生活が話題になることはありませんでした。

自殺した原因もそんな生い立ちには関係ない、気にしている様子は見られなかった、という声もありましたが、本当は心の奥底に闇が広がっていたのかもしれません。

竹内結子さんの亡くなった年齢と母親の亡くなった年齢が同じ40歳というのも気になります。

小学校時代に家出!

出典元:X

「小学生低学年のとき、家出をしたことがある」

こんな衝撃的な発言をしたのは、竹内結子さんが2015年にアニメ映画『インサイド・ヘッド』の主人公・11歳の少女ライリーの吹き替えに挑戦した時でした。

少女ライリーの頭の中にある「ヨロコビ」「カナシミ」「イカリ」「ムカムカ」「ビビリ」という感情を表現するキャラクターの「ヨロコビ」の声を担当していた竹内結子さん。

「カナシミ」の声を担当したのが大竹しのぶさんでした。

2人が感情について話していた時に、「主人公・ライリーが家出をしようと思った気持ちがちょっぴりわかる気がする」と言って、自身の家出未遂騒動の話を口にしていたのでした。

 

出典元:X

複雑な家庭に育ったと言いますが、まさかの小学生での家出という話にはビックリですよね。

しかもまだ低学年の時だったと言います。

竹内結子さんが泣きながら歩いていたから、不思議に思った近所の人が声をかけて連れ戻してくれたのでしょう。

思わず声をかけるほどということは、小学1年とか2年とかの年齢だったのかもしれませんね。

そんな小さな時の記憶は詳しく覚えていなくて当たり前なのですが、「自分はここにいちゃいけないんだ」という感情を持ったという記憶が残っていること自体、かなり心に暗い影を残していたのでしょう。

父親は厳しい人で、小学生の頃からよく殴られていた、と話していたそうなので、その厳しく怒られたことが自分はここにいてはいけない、という思いにつながってしまったのでしょうか。

感受性の強い子供だったのでしょう。

父親の仕事の関係で埼玉県内での転校を繰り返していたそうなので、なかなか何でも話せる友人を作る機会はなかったのではないでしょうか。

そんな生活の中で唯一竹内結子さんが心のよりどころにしていたのが母方の祖母でした。

学校から帰ると母方の祖母の家によく通っていたそうです。

中学生のときに両親が離婚!

出典元:Instagram

中学生になった竹内結子さんを両親の離婚と母親の病気というダブルの悲劇が襲います。

小学生で家出を考えたくらいなので、竹内結子さんの家庭はとても居心地の良い過ごしやすい環境とはいえなかったでしょう。

厳しい両親のもとで姉2人と5人で暮らしていた竹内結子さんは、とても芯の強い子供に育ったといいます。

竹内結子さんが中学生の時に、母親がガンに侵され必死の看病もかなわず、2年生の時に40歳という若さで他界してしまいます。

実は一緒に暮らしてはいたものの、この時すでにご両親は離婚という選択をしていました。

離婚したのが病気を発症する前だったのか後だったのかはわかりません。

ただ母親の最期は竹内家の家族として看取ることが出来たのだと思います。

母が病死、翌年に父再婚!?

出典元:Instagram

1994年6月6日、竹内結子さんの母親がガンのため他界。享年40歳という若さでした。

その悲しみが癒える間もない1995年に父親が再婚し、新しい母親と3人の兄弟が竹内家に加わることになります。

お相手の女性は母親の友人だったそうです。

竹内家の3姉妹に新しい母と3人の兄弟が増え、一気に8人家族という大家族になった竹内家。

当時竹内結子さんはまだ15歳という多感なお年頃でした。

帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、カギのかかった空間がいくつもあるような場所だった。
足早に台所を通り過ぎる時、一人の人間として父が必要とした女の人が、彼女の子供たちのために食事の支度をしている。
晩の食卓の賑やかな景色が、私にはガラス越しのものに見えた。
(中略)
私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた。
連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかったのだ。
その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった。

出典元:AERAdot.(桜井亜美著『サーフ・スプラッシュ』解説より)

離婚していたとはいえ、まだ母親が亡くなった悲しみも癒えないうちに再婚を切り出す父親。

母親が生活していた場所に4人もの他人が入り込んでくる現実。

まだ14歳の竹内結子さんには逃げ出したい気持ちしか起きなかったのではないでしょうか。

3人姉妹で支え合うことはなかったのか、という疑問がわきますが、2人の姉のことについては詳細はわかっていません。

ただ、厳しくしてきた母親から『泣いても状況は変わらない』と言われて育ってきたようです。

高校時代には「家に帰りたくない」と

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「家に帰りたくなくて最寄り駅を過ぎてもまだ電車に揺られていた」そんな言葉を記したのは、竹内結子さんが高校を卒業して独り暮らしを始めて1年が経とうとしていた1999年でした。

出典元:AERAdot.

竹内結子さんが17歳で主演した映画『イノセントワールド』の原作者だった桜井亜美さんから、新作の『サーフ・スプラッシュ』の巻末の解説文の依頼を受け執筆した中で語っています。

小説の中の主人公の女の子が抱える家庭の問題、「私は余計な存在なんだ」と思っていた繊細な部分などを読み、自身とリンクしてしまったのかもしれません。

出典元:Twitter

いつになったら大人になったというのだろう。
そんな思いに耽っていると、ふと高校の教室にいた私が見えた。
机に両肘をついて黒板を眺めている。
見た目からして、騒がず目立たずといった具合で、どこか冷めたところがあった。
まるでスーパーの棚に陳列されている缶詰みたいに、外の空気と別の世界を夢見ていた。
だから卒業式は自分がどこか新しい所へ行ける気がしてとても嬉しかった

出典元:AERAdot.

自分のことを『スーパーの棚に陳列されている缶詰みたい』と例えた竹内結子さん。

スカウトされ芸能界にデビューしたものの、父親の反対にあい『高校を卒業すること』を条件に出され、仕事と両立して通い続けた高校生活。

竹内結子さんにとっては苦痛以外の何ものでもなく1日も早く抜け出したかった世界だったのでしょう。

この時の竹内結子さんの文章力、飾らない言葉に感動したという桜井亜美さんは、この20年後にこの世を去ることになった竹内結子さんを思い、「自分のことをもっと書いたらちょっと心が軽くなるよ」と勧めなかったことを後悔していると言います。

その助言によってなにかが変わっていたのかもしれませんね。

家族への思いが報われなかったのか!?


引用:Google

どんな生い立ちがあったとしても、家族への思いが強かった竹内結子さん。

個人事務所を設立した際は父親を役員に迎え、精神的な支えとなってくれていた姉夫婦には自身名義で購入したマンションを譲っています。

そして幼少期から他の誰より慕い、頼りにしていた母方の祖母とは、その祖母の資産をめぐるトラブルが父親との間に起こり疎遠になってしまいました。

出産前の2019年に体調を崩した祖母を見舞ったのが祖母との最後だったといいます。

そして、その祖母は竹内結子さんの葬儀に参列することも許されず、亡くなったことを知らされていないといいます。

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